はじめに

現況

ブログを書いている私は、どこにでもいる52歳の会社員である。高校を卒業してそのまま就職、事務畑を30数年、特にこれといった手柄もミスもなく過ごしてきた。

 

途中、結婚、そして子供にも恵まれ、小さいながらも一戸建てを建てることもできた。その家には私の母親が同居しており、嫁姑の仲は特に仲良い訳でも憎しみ合うというほどでもなく、たまにお互いの愚痴を聞いてあげれはそれで済む、といった程度の関係を保っている。

 

上の娘は、小学校の高学年から登校拒否が始まり、それは治ることなく、最後は通信制の高校を卒業し、今はバイトしながら花嫁修行中といったところ。まあ、花嫁にはなるつもりはなさそうだが。

 

下の娘はまだ中学生になったばかり。まだまだ可愛い。そして、もう一人、高校生になる真ん中の娘がおり、この子とはもうしばらくまともに口を利いていない。寂しいが、当たり前と言えば当たり前。私もその頃は親のことなど屁とも思っちゃいなかった。

 

こう書いていくと、大きな問題もなく幸せなように見えるが、私の心には大きな穴、いや穴があるというよりは、心には穴どころか何も無い。月並みな言い種だが、今はただ起きて仕事して食べて寝て、また起きるだけの生活だ。

 

借金

 

仕事や人生ではギャンブルしなかった分、依存症と言っていい程、私の血にはギャンブル好きのエキスがたっぷり詰まっているようで、嫁さんに内緒で借金してまで毎日のように馬券や舟券を買っていた。

 

好きこそ物の上手なれというが、ことギャンブルについては、それは全く当てはまらない。ここまで負けてようやく分かったが、ギャンブルは好きであれば好きなほど、下手になる。これは間違いない。

 

ざっと、私のギャンブルと借金の履歴書を披露しよう。

 

推移

 

始めてやったのは兄に連れられて行ったパチスロ。ここから20歳あたりまではとにかくパチンコ、パチスロ。しかし、この時分はいわゆる小遣いの範囲でやっていた。もちろん、勝っていた訳ではない。

 

成人してからは、パチンコ、パチスロと競馬。平日はパチと携帯で地方競馬、土日は競馬場またはWINSからパチという生活。しかし、馬券は100円単位で買うために道頓堀でなく、難波(大阪球場)まで行っていたし、パチはメインがヒラ台だったから、可愛いものだ。

 

結婚、そして子供ができると、どうしても自由になる金が減る。だから増やそうとする。なんていう絵に描いたような悪循環。そして、とうとうキャッシングに手を出した。

 

最初は3万。しかし、これはあっさりバレた。そう、今とは違い、その頃は基本的に家にハガキや封書で使用明細や請求書がくるから。今、思えば、ずっとそうなら良かったのかも。いや、それならそれで別の金策や郵便をなんとかしていたんだろう。